ひめさま、

 

11月3日 文化の日はおいらの初めて救急車に乗った記念日だったことを思い出した。

 

あれば、18歳の時だったんだ。とても痛くて、まじで死んじゃうかもって思ったよ。

埼玉県の奥地に大学のもう一つのキャンパスがあって、そこの文化祭に手伝って―って呼ばれて、朝からバイクでお出かけしたんだ。

環七の片側2車線の左側(歩道側ね)を真っすぐ走っている時に、交差点の手前で右側の車線を走って来た2トン車がウィンカーもつけずに、その交差点を左折しようと曲がって来た。真横に突然現れた、トラックはそのままおいらのバイクのハンドルに左のドアをぶち当てて来た。ドアにハンドルが突き刺さって穴が開いたのが見えた瞬間、ハンドルを取られたおいらのバイクはそのまま倒れこんだ。60km/hほど出ていたので、世の中には完成の法則とか運動エネルギーの法則と言いますか、そのまま倒れながら前に進む。進むと言っても走っているわけではない、こけて滑って行くわけだよ。

右に倒れたバイクの右足が下敷きになって、バイクと共に歩道側に滑って行く。

こういったパニック状態の時って、なぜか世界の時間がゆっくりと感じるスローモーションになるんだよね。

歩道に向かって滑る先には、横断歩道橋の階段のコンクリートが見える。

「あれにぶつかったら、いてーだろうなぁ」と思いながら、歩道と道路の縁石の3cmぐらいの段差が見えてきて、胸をおもっくそぶつけた。そんで息が出来なくなったよ。「ああ、どっか折れたかも・・・」。それでもまだまだ滑り続ける。階段のコンクリートの塊の20cm手前で止まってくれた。「おれ、まだ意識があるよ!!!」って思いつつ、ぶつけた胸が痛すぎて息が出来ない。暫く悶絶していたが、漸く息が出来るようになって、始めたことは、「手の指動くよ。腕はとりあえず動く。首、つながってる」と体が動くことをチェックを始めた。その時、「右足、動かん!やっちゃたぁ・・・」と思っていたら、近くを走っていたライダーさんたちが、倒れたおいらのバイクを引き起こしてくれて、「あ!足動いた!」ととりあえず骨折していない、体もちぎれていないって。わかった。

気が付くと救急車が2台到着していて、ちょっとびっくり。「VIPな待遇だなって」不謹慎な事を考えつつ、救急車の乗る。その頃には、痛みはどこかに飛んでいて意識もしっかりしていた。サイレンならした救急車の中で、ストレッチャーに腰掛けながら「恥ずかしいからサイレン止めてくdれませんか?」とお願いしたけど、救急搬送なので我慢してくださいと、もうすぐです。とたしなめられて病院に到着。病院ではちゃっと目視検査と触診で、「今日レントゲンの技師さんが休みだから、写真はなしね」と言われた。交通事故のバイク乗りの救急搬送でレントゲン無し?なんで?と思いつつ、解放された。タクシーで事故現場に戻り、置き去りにした、ハンドルが曲がったバイクのチェックをして、「あれ?動くじゃん」と言う事で、帰宅。

Gパンとか服はボロボロだった。嫌な汗かいたから風呂でもと思い、裸で浴室で、「うわ!なんだこれ?」と鏡に映る自分の後ろ姿。バイクの転倒事故ではあるあるなのであるが、こけた日のお風呂で皆が叫ぶらしい。「結構きずだらけやん」って。

風呂の中で「ぎゃぇ」っとか吠えながら、痛みが増すのであった。

こんな、11月3日の思い出。 すてきでしょう?

その後、15年後にまた救急車に乗る事になったが、それはまた今度。

前にの少し書きました、痛かった話シリーズです。

シリーズって、どんだけあるんじゃいって。思うよね。

どじなおいらですが、よろしくお願いいたします。

生きるって、すごい事なんですね。

つづく

 

大切なひめさまへ、